井の中の蛙、海外をただ観る

主にイギリスドラマ。映画も好きです。ドラマで得た海外の知識、調べた小ネタなど。

なぜドクターはアシルダを生かしたのか?- DOCTOR WHO S9E5/6

DOCTOR WHO S9E5/6

『The Girl Who Died』- Jamie Mathieson and Steven Moffat

『The Woman Who Lived』- Catherine Tregenna

 

"I'm so sick of losing."

-Doctor

もう失うことにはうんざりだ。

 

"You didn't save my life, Doctor. You trapped me inside it."

- ASHILDR

あなたは私を救ってなんてない、ドクター。

ただ閉じ込めたのよ。

 

 

ーーーーー

とあるヴァイキングの村がエイリアンに壊滅されそうになる。

そこに居合わせたドクターは、宇宙全体への影響を考慮して

ヴァイキングたちを救うのを躊躇うものの

最終的には突拍子もない戦略で影響を最小限にとどめながら

エイリアンを追い返すことに成功する。

 

しかし作戦中に1人の少女が事故で死んでしまう。

その少女の名は、アシルダ。

ドクターは自らの良心に従い、

エイリアンが残して行った装置を使って

アシルダを生き返す。

しかしそれでアシルダは不死の体になってしまう。

その後、地球の中世でアシルダに再会したドクターは

その変貌に驚愕する。

 

誰もが予想していたコンシクエンシーズ(悪い結果)

アシルダが死んだという事実に直面したドクターは、

ある記憶がフラッシュバックします。

ポンペイの大噴火を起こした時、

ドナに説得されてある一家の命を救ったこと。

そこでドクターは、なぜ彼の顔があの時の父親と同じなのか、

その理由を悟りました。

I know where I got this face, and I know what it's for.

この顔がどこから来たのかわかった。そしてそれが何の為なのか。

To remind me. To hold me to the mark.

思い出す為だ。あの出来事を忘れない為。

I'm the Doctor, and I save people.

僕は"ドクター"だ。そして人を救う。

 

それでドクターは納得し、アシルダを救うことにしました。

エイリアンが残して行った治癒装置を人間用に書き換えて、

アシルダに使用します。

しかし、人間用にしたことでその装置は治癒だけでなく

使用した身体を不死にまでしてしまいます。

ドクターはそのことも承知で、

"誰か大切な人が現れた時のため"と

アシルダにもう一つ装置を残して去って行きます。

 

とはいえドクター・フーを観ている私たちは

"果てしなく長く生きること"がどれほどキツイことなのか

ドクターの人生通して痛いほど良く知っています。

それに加えて『トーチウッド』を観ている人には、

それはもっとよく知った事実でしょう。

キャプテン・ジャック・ハークネスはかつてないほどの

孤独で過酷な人生を歩んでいるヒーローでした。

 

不死の体になったアシルダ。これは嫌な予感しかしません。

そして、その予想通り、

ドクターが再会したアシルダはかつての純粋な少女の姿のかけらもなく

刺激のために盗みを繰り返し、簡単に人も殺す人間に変化していました。

 

なぜドクターはアシルダを生かしたのか?

人を救うドクターは人を破滅させるドクターよりももちろん好きです。

そしてその結果、人を破滅させるところもドクターらしくて好きです。

アシルダの変化も予想通りながら、悲しく切ない。

 

全てにおいて、いい展開になりそうな要素が組み合わさっています。

しかし、なぜか今回のストーリーは面白くなりきれない。

物語の中心部に最大の疑問が残るからです。

 

なぜドクターはアシルダを生かしたのか?

 

ドクターは自分の立場上

不死の人生というものがどれほど孤独で辛いものか

充分わかっているはずです。

なぜそれを承知で、

そんな辛い運命をやすやすと1人の少女に与えたのか。

 

不死への"偏見"はなくなった?

そもそもシーズン1の最後ジャックが不死になった時、

ドクターはそれを「あってはならない存在」と否定しています。

ジャックがどれほど過酷な人生を送って来たのか、

全てをドクターが知らないのは確かです。

確かに、ドクターはジャックが最終的には地球防衛に尽くすようになったことしか知りません。

その姿を見て、不死があってはならない存在であるという概念は覆ったということでしょうか?

 

シーズン3の最後でドクターとジャックが再会した時、

ドクターの「本能的に不死は間違ってると感じる」という指摘に対して

ジャックは「偏見を持ってるってこと?」と茶化して返していますが、

彼の"偏見"はジャックの例で拭い去られたということでしょうか?

 

とはいえ、たとえ不死への偏見がなくなったとしても、

1人の少女に不死の運命を与えるということは

1人の少女の命を救いたいという良心に適ったことなのでしょうか。

あの瞬間、ドクターは本当にそれが最善の選択だと感じたのでしょうか。

しかも少しの葛藤もなしに、やすやすと彼はその決断を下しています。

そんなところにもかなり違和感を感じました。

 

ドクターの良心が悪い結果を引き起こすことは

ドクター・フーではお決まりの展開ですが、

それでも今回のドクターの行動は未だかつてないほどの

"良心の暴走"と言ってもいいような気がします。

彼があの瞬間何を考えていたのか全く理解できません。

 

全く無意味なもう一つの装置

今回最も矛盾に感じるのは、

ドクターがアシルダに与えたの"もう一つの装置"です。

 

ドクターはアシルダに

誰か死んで欲しくない人が現れた時に使えるように

とそれを残していきます。

1人でいるのは良くない、とも言います。

つまり、ドクターはアシルダとその誰かが

永遠の命を持ちながら永遠に共に生きていくことを望んでいたのです。

 

しかし、それをアシルダに望みながら、

一方で彼自身はアシルダを旅に連れていくのを拒みます。

アシルダの孤独も退屈もよく理解できるうえ

明らかにその責任が彼にあるにも関わらず

アシルダの懇願を頑なに拒みます。

その理由は

DOCTOR: People like us, we go on too long. We forget what matters. The last thing we need is each other. We need the mayflies. See, the mayflies, they know more than we do. They know how beautiful and precious life is because it's fleeting. 〜中略〜 I looked into your eyes and I saw my worst fears. Weariness. Emptiness.

僕らのような人は、長く生き過ぎてしまう。大切なことを忘れてしまうんだ。お互い何が最も必要なのか。僕らに必要なのはカゲロウだ。みてごらん、カゲロウだよ。彼らは僕ら以上のことを知っている。人生がどれほど美しく価値のあるものか。彼らはそれを感じるんだ。〜中略〜 君の目の中には僕が最も恐れるものが見える。退屈。空虚。
ASHILDR: That's why you can't travel with me. Our perspectives are too vast. Too far away.

それが私と旅が出来ない理由ね。私たちの視野はあまりに広く、あまりに行き過ぎてる。

 

その瞬間を生きている人間の方が、人生の美しさを知っている。

だから僕らみたいな人のそばには、そういう人こそ必要なんだ。

彼がクララと旅している理由がよくわかる台詞ですね。

感動的です。

でも、じゃあそこまでわかってて、

どうしてアシルダにもう一つの装置なんて渡したのでしょう。

そんなもの使って永遠の命がある人間が側にいても救いにならない、

むしろ最も恐れるものが見えるとすら言っているドクター。

 

彼の行動が奇想天外なことはいつもですが、

それでも大抵辻褄はあっています。

ここまで支離滅裂なのは、

ただのシナリオの構成ミスでしょうか。

それとも後の伏線でしょうか。

どっちにしても、なんだかとても惜しい感じがした今回のストーリーでした。